サイズ
トップサイダー
もう何年も前から、ずっとTOP-SIDER(トップサイダー)のデッキシューズ(左図)が欲しかったです。私の大学時代は、ちょうどトラッド、プレッピーなどが流行った時期で、いわゆる第2期トラッドブームでしょうか。原宿に復活したVANにも、よく通いましたし、青学横のボートハウスとか、原宿交差点脇ビルの2階にあったSHIPSとかも。もちろん、地元のフクゾーもお気に入りでした。そんな時期、履いていたのがトップサイダーのデッキシューズです。学生の身分では、やや高価でしたが、バイトして買った記憶があります。で、最近になって、また履きたいなぁ・・・と思っていたのですが、そもそもトップサイダーを扱っている店が見あたりません。たまにABCストアなどで「トップサイダーのデッキシューズはありますか?」みたいに聞くと、トップサイダーを知らないばかりか「デッキシューズって何ですか?」みたいな(笑)。まぁ、確かにヨットで使うシューズですから、マリンショップで聞くべきだったかもしれませんね。

コンバース ネットで調べれば、扱っている店もチラホラ見つかります。アメ横の店には、実際に行って試し履きもしてみました。で、こないだamazonを眺めていたら、なんとamazonで売っているではありませんか。amazon恐るべし。商品解説のページを見ると「サイズが合わなければ返品も可」とあったので、試しに注文してみました。そのとき、サイズの参考にしたのが、最近履いているコンバースのローカット(右図)です。こいつは、US8-1/2(26.5Cm)の2Eでした。トップサイダーの横幅が分からなかったのですが、とりあえず26.5Cmで注文してみました。ところが、翌日に届いたデッキシューズは、とても小さくて履けません。しかたなく返品して、今度は27Cmを再注文しました。こちらは快適です。いやぁ、久しぶりに履くデッキシューズはGoodです。ジーンズにも、チノパンにも、何ならチャコールグレイのスーツに合わせてもイケます。
アディダス スーパースター 調子に乗って「よし、今度はコンバースのワンスターでも!」と思いましたが、やはり気になるのはサイズです。デッキシューズとスニーカーは違いますし、そもそもメーカーによって同じサイズでも大きさが違ったりします。もちろん、実際に店舗で試し履きをして買えば間違いありませんが、なんかamazonの手軽さが妙に魔力のようで。そこで今度は、長年履いているアディダスのスニーカーを調べてみました。これって、サイズはいくつだったんだろう・・・靴内のタグを見て驚きました。なんと、US10(28Cm)ではありませんか。そんなデカイの履いてたんだ。にしては、このスニーカー、異様に履きやすかったです。Microsoft本社へ行くときにも履いていきましたし、ちょっと楽したいときにはいつもこれ。おかげでボロボロなのですが。
NIKE Air Team unified TB これ、明らかに私の足より大きいです。でも快適でした。多少余裕があるな、程度にしか感じていませんでした。よく「靴は足に合ったサイズを選びましょう」と言われます。「サイズが合っていないと、あれこれ何かとナニですよ」みたいな。でも、サイズの合わない靴を長年履いていましたが、トラブるどころか、実に快適でした。てことは、大きめのサイズを注文してもいいのかなぁと。そういえば、昔履いていたバスケットシューズ(右図)を調べてみたらUS9(27Cm)でした。さらに、スーツのときよく履いているリーガルのローファーは26.5Cmの2E。いま使っているテニスシューズは27.5Cm。なんか、メチャクチャだな(笑)。
どうしよう。やっぱ店に行って試し履きした方がいいかなぁ・・・


(画像はamazonなどから)

だます
お金
人を欺す…というと聞こえが悪いですけど、人は誰しも、自分にとって都合の良い"言い方"をするものです。何か失敗したときに「いや、私は悪くない、原因は…」と、つい主張してしまうように。同じことを言っていても、表現によって受け取り方は異なります。
たとえば、次のような投資話を聞いたらどうでしょう。

「これは、ほんのわずかな投資をするだけで、大きな収益を生むシステムなんです。あなたが負担するのは、わずか1日100円だけ。それ以上は何もかかりません。100円玉1枚ですよ、缶コーヒーよりも安いですよね。たったそれだけで、あなたには年間2万5千円が入ります。嘘じゃありません。5年で12万5千円。10年ではナント!25万円ですよ。どうします?25万あったら何を買います?さぁ、どうします?やってみませんか?」

一瞬でも"やってみようかな"と思った方は、今後の人生を十分にお気をつけください。
1ヶ月を30日で計算すると「わずか1日100円だけ」は、月に3千円となります。つまり、1年で3万6千円です。年間3万6千円払って2万5千円を受け取るのは、約1万円の赤字です。

むかし営業の仕事をしているとき、上司から次のように言われました。お客が支払う金額は分割した額を言いなさい。1日に換算すると…1回あたり…のように。そして、お客が得られる利益は膨らませた額を言いなさい。1年では…全部で…みたいに。決して欺しているわけではありませんが、いわば"数字のトリック"ですね。そういう目で見ると、世の中には同じような表現があふれています。何事も、冷静な判断が重要ですね。

(画像は、Microsoftクリップアートから)

相棒
時計
帰りの電車でフト見ると、腕時計が止まっていました。
針は、午後5時を少し回ったところを指していました――

私は少しだけ"験(げん)をかつぐ"タイプです。テニスシューズを履くときはいつも左足からと決めていますし、宝くじを買う売り場や、毎年初詣に行く神社も決まっています。

セミナーや講演をやるときにも少しだけ意識していることがあります。いつも必ず持って行く物が三つあって、それがないと何というか落ち着きません。一つは"マイ指し棒"です。これは初めてMVPを受賞したとき記念に伊東屋で購入しました。ふたつめは"フクゾーのハンドタオル"で、汗かきの私には実用面でも役に立っています。

そして三つ目が"腕時計"です。セミナーや講演は時間配分が重要ですから、たとえよく見える位置に壁掛け時計などが設置されていたとしても、演台の上に腕時計を置いて時間をチェックするようにしています。私にとってこれらはいわば、セミナーや講演時の"三種の神器"みたいなものです。

今日は某所で企業セミナーの二回目でした。テーマはExcel VBA。10時から17時までと長丁場でしたが、受講生たちとも徐々に打ち解けてきたのか要所で笑いも取れましたし、私としても出来はそれほど悪くなかったです。無事にセミナーも終わり、いつも通りに帰り支度をして、サブ講師の方と打合せを済ませた後、疲労感とともに事務所へと向かいました。

帰りの電車でフト見ると、腕時計が止まっていました。
針は、午後5時を少し回ったところを指していました。
いつ止まってもおかしくない、そんな残り少ない電池で、それでも私のセミナーが終わる午後5時までは、頑張って動いてくれたようです。こいつとは20年以上の付き合いです。昔トラックの運転手をやっていたとき、500円玉をためて海老名のダイクマで買いました。Excel 97が発売されてすぐの頃、初めてやったExcelセミナーのときも、WPC EXPOのステージで300人を前にしてピボットテーブルの技を披露したときも、いつも私に時を告げてくれていました。

「今日も無事に終わったな。お疲れ様!」

止まった針から、そんな声を聞いた気がしました。
次回のセミナーは来週です。明日、時計屋で新しい電池に交換してきます。


名前
名前
私の名前は、田中亨(たなかとおる)です。
亨という字は、当時ウチに下宿していた方が命名してくれたそうです。何でも、当時の横浜税関の署長さんが亨さん[*1]で、その字を頂いたとのこと。我が家は、父も兄も漢字一文字で「○○る」という読みですから、それを継承してくれたんでしょうね。

もっとも父は別の名前を考えていたらしいです。私は5月3日(憲法記念日)に生まれた二男ですから「憲二」または「憲次」にしようかと、最初はそう思ったそうです(本人談)。しかし、生まれたばかりの私の顔を見て「こいつは頭が悪そうだから、こんな難しい字は書けないかもしれないな」と却下されました(本人談)。

と、そこまでのいきさつは、ずいぶん前に聞かされていました。しかし先日、母から衝撃の事実を聞きました。私の祖父(田中)は、もともと祖母の家に養子として入ったそうです。祖母の名字は「伊藤」さん。そのままでいけば、私も伊藤家の一員として生まれてきたはずですが、何かの折に祖父が田中に戻したらしいです。戻したって・・・てゆーか、戻せるんですか?戸籍でしょ?今の法律で考えたら、一度離婚して、また再婚しないとダメなのでは?何かの折にできるほど簡単なことではないと思いますけど。でもまぁ、おそらく大正時代の話でしょうし、その頃はけっこういい加減だったのかもしれませんね。

そんな訳で、もしかすると私は伊藤憲二(いとうけんじ)になっていたかもしれません。当然、子供の頃のあだ名は"ケンちゃん"で決まりでしょう。あるいは"イトケン"などと呼ばれていたかも。何だか、伊藤銀次と大村憲司を合わせたような名前ですから、今よりギターの腕も上がっていただろうに。いずれにしても、まったく別の人生を歩んでいたんでしょうね。

このサイトだって、Office TANAKAではなく「伊藤屋」とかにして、赤いクリップをロゴマークにしてたかもしれないし。ExcelのTipsコーナーは、ゼッタイに「伊藤家の食卓」という名前にしただろうな。

(画像は、Microsoftクリップアートから)



[*1]追記です。 気になったので調べてみました。確かに「亨」という名前の署長さんが過去にいらっしゃいましたが、「当時の署長」は明らかに間違いでした。何しろ、在任期間が明治7年1月〜明治7年7月ですから。いくら何でも、私は明治生まれではありません(^^;
星 亨さんという署長さんだそうです。詳しくは下記ページをご覧ください。

■歴史を飾った税関長:横浜税関 Yokohama Customs
http://www.customs.go.jp/yokohama/history/rekidai.htm

税関長時代、英国のクイーンを「女王」と訳し、「女皇」と訳すべしとする英国公使の抗議に、自説を主張し一歩も譲らず、所謂「女王事件」を引き起こし、引責辞任した
頑固なところは、似ているかも。


思い出
思い出
先日、地下鉄で移動していたときのことです。

することもなく車内でボォ〜っとしていたのですが、ドアの上に書かれている路線図が目にとまりました。深い理由もなく、たぶんヒマだったからでしょう「覚えてみようかな」と思いました。
え〜と、最初の駅は…中野か。懐かしいな、ブロードウェイ。クラシックって喫茶店まだあるのかな?そういえば原ちゃんと一緒に行ったっけなぁ、そうそう与論島の克郎さんと待ち合わせしたのも中野だった。で次は落合か。知らねぇ、行ったことないな。「下落合焼き鳥ムービー」と関係あるのかな。んで高田馬場、ここで山手線に接続か。なんだ、新宿出るより近いじゃん。

早稲田か、懐かしい。ケンちゃん元気かな。まだサッカーやってんのかな。また徹マンやりたいな。次が神楽坂だ。神楽坂飯店の一升炒飯、一度チャレンジしてみたいよな。崩さないで食べるのがコツって小池が言ってたっけ。飯田橋かぁ…毎日通ったっけなぁ、若かったなぁ、あの頃は。なんか大学の建物新しくなったらしいな。ビルになったんだっけ?でもあいかわらず校門のとこには立て看板があったりして。Terryのオムライス食いてぇなぁ・・・と、駅名を覚えるというよりも、駅ごとにまつわる思い出を懐かしむ時間でした。

不思議と駅ごとに、何かしらの思い出や出来事などがリンクできました。聞いたことのない駅や、下車したことのない駅でも、路線や道路の位置から判断し、車で何度も前を通っていたことがわかって「ああ、あの駅がここか」と新しい発見もありましたし、ずっと忘れていた思い出が駅名を見た瞬間に蘇ったりもしました。音楽を聞いてその当時を思い出すという話はよく聞きますが、駅名というのも意外とトリガーなのかもしれません。

もちろん、ちゃんと西船橋まで覚えました。とりあえず東西線はコンプリートです。次は銀座線日比谷線あたりを覚えてみましょう。赤坂見附六本木など、忘れられない思い出がテンコ盛りです

(画像は、東京メトロから)

夢
「田中さんの夢は何ですか?」と聞かれると、いつも決まって「歴史の教科書に載ることです」と答えます。多少の誇張もありますが、まんざら嘘ではありません。

高校生の頃、歴史の授業を受けているときに思いました。ここに登場する人たちってスゲェよな…死んでから何百年も経つのに、未だにこうして話題に上がっている。この人が、この時代に生きていたってことを、多くの人が記憶にとどめている。それってスゲェよな…なんか、その人の"生きた証"つーか、"存在意義"つーか…歴史の中で、その人が必要とされたんだろうな。よくわかんねぇけど、スゲェよな…。

田中亨という人間がいたことを、ずっと後になっても語り継いで欲しい。忘れないで欲しい。私がこの時代を生きていたことを。漠然とですが、そんなことを望むようになりました。偉人として教科書に載ることは難しいでしょう。だけど、教科書に載らなくてもいいんです。覚えていてくれれば。もちろん、家族や近しい知人などは覚えていてくれるでしょう。少なくともそう願いたいものです。ですが、できることなら、もっと多くの人たちに覚えていてもらいたいです。この時代に田中亨が生きていたことを。

幸いなことに、いま私は執筆の仕事をしています。パソコン用の書籍とはいえ、今までにたくさんの方が私の本を買ってくれました。すべての読者が著者の名前を意識しているわけではありませんが、何割かの方々は田中亨という名前を覚えてくれています。初めてお会いした方が、私のことを知っているということも珍しくありません。初対面の方からサインを求められたこともありますし、「写メ撮ってもいいですか?」と言われたことも一度だけあります。それはともかく…。拙著の何冊かは国会図書館にも寄贈されていますので、公式な記録としても残っているでしょう。そう考えると、私のいまの仕事は、自分の夢に向かっているのかもしれません。

先日「プロフェッショナル 仕事の流儀」というNHKの番組に、MITの教授である石井裕さんが出演していました。番組の最後で「石井さんにとってプロフェッショナルとは?」と質問されて、こう答えていました。

自分がこの世からいなくなったあと、その未来の世界にどういうよい影響を与えられるか、インパクトを残せるか。そこまで真剣に考えられる人だと思います
そうそう、こういうことです。さすが天才は違うな。うまいこと言う。こういう人になりたいです。それが私の夢です。

(画像は、Microsoftクリップアートから)

顔
私は、人の顔を覚えるのが大の苦手です。

たとえば仕事で、初めての相手を訪問したとします。応接室などで小一時間、場合によってはそれ以上の時間、ずっとその人の前に座って話をしていたとしても「それでは、よろしくお願いします。失礼します」と、その場を後にしてしばらくすると、さっきまで目の前に座っていた担当者の顔をイメージできません。ですから、二度目にそこを訪ねたとき、顔だけで担当者を判断できずに困ることがあります。決して無視しているわけではありません。本当に覚えられないんです。わかってください・・・_| ̄|○

どちらかと言うと記憶力は悪くないと思います。子供の頃に聞いたアニメの主題歌は今でもたくさん歌えますし、中学のとき覚えた円周率は今でも40桁まで間違えずに言えます。「あの映画おもしろかったよな」「え?私見てないよ…誰と行ったの?キー!」なんて失敗もありませんし、上の子が生まれた日の風の強さも、小雨まじりで寒かった下の子の誕生日もハッキリと覚えています。単純に記憶力の問題ではなく、人の顔を認識する脳の機能が劣っているのでしょう。

ですから、刑事ドラマで「この写真に見覚えはありませんか」などと犯人の写真を見せて「この人です!この人に間違いありません!」なんてシーンは信じられません。パーティなどで「やあ田中さん。ご無沙汰してます。どうですか最近は?」と言われると緊張します。「ああ、どうも(^_^)ご無沙汰してます!」と答えながらも、心の中では…やっべぇ…誰だっけこの人…と汗をかいています。ここだけの話、そんなときはサインとして耳を触りますので「ほら、○○でご一緒した××ですよ」と暖かく言っていただけたら幸いです。

もちろん、一生覚えられないわけではありません。今までの経験上、だいたい3回くらい会うとインプットされるようです。あるいは、ものすごく特徴のある顔。これは一発で覚えられます。顔を覚えるというより、その特徴を覚えるのでしょうね。スーツにスキンヘッドとか、顔にたくさんのホクロがあるとか。初対面の相手にそうした大きな特徴があると、内心ホッとしたりします。

なんてことを考えながら、先日初めての仕事先に向かいました。これから長いお付き合いを願う相手です。名刺交換をして椅子に座り、担当者の顔を見たら、鼻の横に大きなホクロが・・・私事ですが、さい先の良いスタートでした。

(画像は、Microsoftクリップアートから)

人生
人生
中学生の頃、映画「エクソシスト」を見て以来、ホラー映画が苦手です。ひとことで言えば"怖がり"なのかもしれません。わざと驚かせる演出や、特殊メイクとわかっていても、苦手なものは苦手です。映画だけでなく、テレビドラマなども見ようとは思いません。ただ、年齢を重ねるごとに、少しずつ"恐怖感"も変わってきました。いわゆる"幽霊"は怖くないです。そんな気持ちが変化した時期もハッキリ知っています。
父が亡くなってからです。


父が亡くなったのは1997年の12月でした。サラリーマンを辞め、ライターとして独立してから数年が経った頃です。長い間入院をしていましたから、何となく心の準備はしていましたけど、未明の電話で兄から「おやじ、いっちゃったよ…」と聞かされたときはショックでした。実家を離れていましたので、死に目にも会えませんでした。

その頃からです。恐怖心が変わってきたのは。たとえば深夜ひとりで仕事をしていて、何かのはずみで「カタン」のような音が聞こえたときなど、もちろんドキッとはしますが怖くはありません。「親父か?」って。「いるなら出て来いよ」「たまには話でもしようぜ」「そっちはどうよ?」「タバコ吸うかい?」って。たとえ幽霊でもいいからさ、たまには顔出してくれよ。親孝行できなくてゴメンな。もっと一緒に酒飲みたかったよ…

あと数年すると私も50歳になります。まだ50歳なのか、もう50歳なのか、感じ方は様々です。ただ、100歳まで生きるとは到底思えませんので、どうやら中間地点は過ぎたようです。死ぬことは怖くありません。ただ、できることなら、親父と会ったとき笑顔で酒を酌み交わしたいです。笑顔で会えるような、そんな人生にしたいです。

(写真は、Microsoftクリップアートから)

ソースカツ丼
ソースカツ丼
ずっと頭の片隅に引っかかっていた事があります。

大学生の頃、よく友人(武本くん)とスキーに行きました。
貧乏学生でしたから何泊もするスキーツアーなどにはほとんど参加せず、たいていは近場の苗場あたりに「日帰りスキー」でした。早朝に車で東京を出発し、スキー場に着いたらリフトの一日券を買って滑り、夕方に現地を出発して帰路につき、深夜には自宅に戻るというパターンです。翌日には何食わぬ顔で学校やバイトに行きましたっけ。いやはや、体力が有り余っていたんでしょうね・・・

その当時は、関越自動車道が高崎あたりまでしか延びていませんでしたから、高崎からはひたすら17号を走ります。東京を朝4時頃出発して、苗場に到着するのが10時くらいだったでしょうか。途中の猿ヶ京温泉とか懐かしいですね〜。JRの"フルムーン旅行"で有名になった法師温泉も幻想的な宿でした。少し離れていますが、水上の混浴露天温泉や、雪の宝川温泉も忘れられません。

どういう理由だったかは忘れましたが、その日は17号から水上方面に進みました。赤谷湖を右折です。しばらく走った左側にその店はありました。駐車場の広いその店の雰囲気は今でも覚えています。店名は確か「越路」でした。腹が減った私たちは駐車場に車を停め、店のドアを開けました。

店に客はいませんでした。照明も暗く「すいませ〜ん」と呼ぶと、奥から無愛想な店主が現れて、面倒くさそうに店内の電気を付けてくれました。そこで食べたのが今でも忘れられないソースカツ丼です。ショックを受けるほどウマかったです。それまでにもソースカツ丼を食べたことはありました。しかし関東で食べるソースカツ丼は、丼ご飯の上にカツを乗せ、そこに普通のソースをかけたものが一般的でした。ところが、その店で食べたソースカツ丼は、甘辛ソースでカツを煮てあるんです。こんなのは初めてでした。夢中で食べました。しばらくすると、呼んでもいないのに店主がテーブルに近づいてきて、またもや無愛想に「これ」と山菜をサービスしてくれました。この山菜も美味しかったです。

それ以来、甘辛煮ソースカツ丼を忘れられないのですが、何人かの友人・知人に話しても「そんなの聞いたことない」とつれない返事ばかりでした。なんだかなぁ・・・と落胆し、記憶からもほとんど消えかけていたのですが、先日とあるページを見て驚きました。

「煮ない、とじない、「ソースカツ丼」講座」
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091142435989.html

これです、これ!長野地方では一般的な食べ物だったんですね。長野サイコー!「越路」で食べたとき"煮ている"と思ったのですが、実際は濃厚な甘辛ソースがたっぷりかかっていたのかもしれません。とにかくウマかったです。
最近ではさまざまな地方料理を、東京にいながら食べることができます。長野のソースカツ丼も、もしかしたら都内で専門店があるのかもしれません。でも、せっかくだから長野に行って食べたいですね。できれば、駐車場が広く、無愛想な店主がいる店で。

(写真は、exciteから)

正式名称
フィルハンドル
掲示板などでExcelについて質問するときは、正式名称を使うように心がけてください。質問している機能が「オートフィルタ」なのか「フィルタオプション」なのか?あるいは「オートフィル」なのか?それによって答えも変わります。別シートのデータを「参照」したいのか?それともセルに「代入」したいのか?「データを引っ張ってきたいんです」では、まったく意味がわかりません。こうした質問には、残念ながら答えることができません。

正式名称を意識するだけで、Excelを使いこなす力は間違いなくアップします。ウソじゃありません。たとえばスポーツ選手などが筋力トレーニングをするとき、使っている筋肉を意識するとトレーニングの効果が大きいと言われています。コンセントレーションカールをするときは、上腕二頭筋が収縮しているのをイメージするわけですね。Excelの正式名称も同じです。フィルハンドルをドラッグするとき「セルの右下の黒い■」ではなく「フィルハンドル」と名称を意識すると、操作に必然性が感じられ、その機能が持つほかの効果もイメージされます。そうしたイメージが、次に問題を解決するヒントにつながるんです。

正式名称といば……学生時代のできごとを思い出しました。深夜、いつものように友人を乗せて都内をクルマ(愛車シビック)で走っていたときです。第一京浜の浜松町あたりで急にエンジンの調子が悪くなりました。信号待ちで停車したらエンジンも止まりました。かなり古いクルマでしたから、また調子が悪くなったか…と友人たちと押しがけに汗を流しました。しかし、何度試みてもエンジンがかかりません。どうやらHONDAにありがちな電気系トラブルのようです。時間は深夜というより早朝の4時近く。そろそろ始発電車も動き始めます。しかたないので、JAF(ジャフ)に電話してレッカーを依頼することにしました。そのときの会話です。
私 「あ、もしもし、すみません、ジャフですか?」
JAF「はい、ジェイ・エイ・エフです。どうしましたか?」
私 「え〜と、すみません、そちらジャフですよね?」
JAF「いいえ!ジェイ・エイ・エフですけど。故障ですか?」
自分の所属名にこだわるのはけっこうですが、早朝4時の電話でここまで頑なに主張されるのもどうかな…と。まぁ、助けてもらったし、話のネタになったのでいいですけど。ちなみに、ジェイ・エイ・エフのサイトはこちらです→日本自動車連盟

そうそう、私の屋号はOffice TANAKAですから。OfficeタナカやOFFICE TANAKAやOfficeTANAKAではありませんから。

プレゼント
プレゼント
プレゼントをするときは、その人が2番目に欲しいものをあげるといいそうです。昔読んでたポパイに書いてありました。曰く、1番欲しいものというのは、結局いつか自分で買う可能性が高いわけで。対して、2番目はいつも「また次の機会に…」と見送られることが多いわけで。だから2番目なわけで。でも実は欲しいわけで。だから、そんな2番目をプレゼントされるとうれしさも倍増すると。まぁ、ポパイらしい強引な理屈ですけど、言われてみれば納得できる部分もありますね。

少し前、子供から「どうしてプレゼントは値札をはがすの?」と質問されました。ある人は「安いものをあげたら恥ずかしいからよ」と言っていましたが、それは違うと思います。その理屈なら、十分に高額なプレゼントなら値札をはがさなくてよいことになります。そうじゃないと、私は思います。

本来、誰かから何かをいただいたら、お返しをするのがマナーでしょう。そのとき、もらったものと同じレベルのお返しが望ましいと思います。レベルにはいろいろな意味があるでしょうけど、同じ程度の金額というのが最も簡単なレベルです。そのとき、あなたならどうしますか?もらったプレゼントの値段を調べますよね。もしプレゼントに値札があったら、お返しレベルの判定も簡単です。つまり、もらった人にとって「お返ししやすい」プレゼントということになります。値札をはがすというのは、そういうことだと思います。値札をはがすことで「お返しはけっこうですよ」という暗黙のメッセージを相手に伝えるのではないでしょうか。

よく聞くことですが、プレゼントで何より大事なことは気持ちを込めることです。気持ちがこもっていないプレゼントなんて、プレゼントじゃありません。単なる「あげるモノ」です。では、その"気持ち"や"思い"をどうやって込めればいいのでしょう。私は、プレゼントを選ぶという行為に"気持ち"が込められるのだと思います。あの人は何が欲しいのだろう?これは持っているだろうか?どちらの色が好きだろう?もう少し小さい方がいいかな?……などなど、いくつもの店を回っては品物を手に取り、悩んではまた棚に戻す。そうしてプレゼントを選んでいるときは、間違いなくその人のことを思い描いています。そうした時間を過ごしてプレゼントを選ぶことが、"気持ち"や"思い"を込めるってことなのではないでしょうか。だから「今度の誕生日何が欲しい?」みたいな質問をされるとガッカリします。相手のことを想像しながら、何に喜ぶかを思い悩む……そういう"気持ち"を最初から放棄しているのですから。

(写真は、Microsoftクリップアートから)

トースト
トースト
何かのキッカケで、昔の記憶がよみがえることってありますよね。
私は、朝食のためにパンを焼き、オーブントースターから出したパンにバターを塗っていると、いつも必ず高校時代に大好きだったK子のことを思い出します。何度かデートはしましたが、結局恋人同士にはなれず、大学に入ってから告白したものの、あっさりとフラれた女性です。顔だけでいえば、安田美沙子に似ていました。いえ、もしかすると、はるか遠く美しい想い出が、そのように美化しているのかしれません。

何かのときに、お互いの家の朝食風景が話題になったのだと思います。そのとき彼女が「みんなのトーストにバターを塗るのは私の仕事なの」と言ったので驚きました。私は兄と二人兄弟です。母はいますが、妹や姉はいません。男性ばかりの家庭ですから、食事の時間も"ガサツ"な雰囲気がいっぱいでした。
私「兄ちゃん、ソース取ってくれよ」
兄「自分で取れよ!んなもん」
私「届かねぇから言ってんだよ!」
父「うるせぇな、ソースぐらいで騒ぐな!」
母「ほら、早く食べちゃいなさいよ!」
みたいな会話は日常茶飯事です。朝はトーストでしたが、それにしても自分のパンは自分で焼きましたし、誰かがバターを塗ってくれて「はい、どうぞ 」なんて夢のようなことはありませんでした。それがどうでしょう!彼女はバターを塗ってくれるのです。きっとコーヒーも入れてくれるのでしょう。エプロン姿もカワイイに違いありません。きっとそのあと、玄関まで見送ってくれて「いってらっしゃい、あなた 」なんて言いながらチュッとかしてくれるのでしょう。そうに決まってます!少し甘えるように「早く帰ってきてね 」とか言われるのですから、そりゃもう仕事が終わったらダッシュで帰ります。「おかえりなさい、あなた♪お風呂にする?ご飯にする?それとも…(ry」
くぅ〜!!いいなぁ〜!!高校生の妄想なんて、一瞬で銀河系の果てまで飛んでいくもんです。

ほんの小さな出来事で喜んだり悲しんだり、大好きな人のことを考えると胸が張り裂けそうで夜も眠れなくて、訳もなく「ちくしょぅ〜!」とか叫びながら夜の街を全力疾走してしまうような、そんなほろ苦い高校時代をなぜか思い出します。

(写真は、Microsoftクリップアートから)

テレパソ
MTVX2004
テレビを見たり録画できるようなパソコンを「テレパソ」というらしいです。テレビパソコンの略称なのでしょうけど、雑誌などで「テレパソ」という単語を見るたびに「テレパル」と読み違えそうになります。テレパルというのはFMの番組雑誌で、テレビガイドのFM版みたいなもんです。当時熱心にFM放送を聞いていたリスナーの多くは、真面目なクラシック好きか、いち早く海外の曲をゲットしたい洋楽マニアでした。そんな彼らはFMファンなど古くからあるFM誌を読んでいたのですが、日本の歌謡曲やフォークなど軟弱なジャンルを好む軟弱リスナーは、誌面がカラーで読みやすく、オシャレなカセットレーベルがオマケに付いていたテレパルを愛読したものです。

閑話休題。
私も最近はテレビをパソコンで見たり録画したりします。使っているのはカノープスのMTVX2004です。仕事がら、一日のほとんどをパソコンの前で過ごしますので、目の前のディスプレイでテレビを見られるというのは、かなり便利です。なによりパソコンでの録画は、もうVHSには戻れないほど使いやすいです。録画予約はインターネットのテレビ番組表を開いてクリックするだけです。ハードディスクの空き容量さえ気をつければ、テープを入れ替えたり、テープの残量を気にしたりする必要もありません。決定的瞬間の映像などは、静止画として残すことも可能です。CMも簡単にカットできますし、DVDに保存しておけばVHSテープのような保管スペースもいらず、探すときにも便利です。いやはや便利な世の中になりました。長生きはするもんです。

最近はノートパソコンや携帯電話でもテレビを見られるようになりました。そのうち、テレビを見るという行為に"場所"という制約はなくなるかもしれませんね。何年か過ぎると、外でテレビを見るのが普通になるかもしれません。はるか昔、居間の奥に鎮座したテレビには観音開きのトビラが付いていて、家族全員がその前に集まって白黒の番組を夢中で見ていた……なんて昔話をしても、信じてもらえないかもしれませんね。音楽番組を録音したくても、テレビとラジカセを接続することなどできません。テレビのスピーカにラジカセを近づけ、歌い始めに合わせて録音を開始するのですが、そんなときに限っていつも親父が咳払いなんかします。「うるせぇ〜な!声が入っちゃうだろ!」と言いたいものの、その自分の声まで録音されては困るので、振り返りキッ!と睨んで、ジェスチャで激しく文句を言ったものです……なんて昔話もね(^^;

(画像の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

Microsoft本社 2005
そうえいば、このコラムの最初はMicrosoftの本社に行ったことを書きました。年に一度、世界各国のMVPがレドモンドの本社に集まるMVP Global Summitに参加したときの様子です。で、今年も行ってきました。

レジストレーション風景 ハッキリ覚えていませんが、世界各国から集まるMVPの数は1500人くらいだったかと。左の写真は、初日に行うレジストレーション(登録)の風景です。ここで自分の名前を言うと、自分専用の資料をくれます。といっても全部英語でやり取りしなければなりませんけど(^^; 英語が苦手な私は、これから始まる英語漬けの日々を少し憂鬱に感じていました。でも今年は新しいExcelの機能や仕様を詳しく聞けるはずですから、昨年よりワクワク度は高かったです。

Microsoft Conference Center キャンパス内にはMVP Global Summitのようなカンファレンス専用のビルもあります。Microsoft Conference Center(MSCC)と呼ばれるこのビルでは、初日のレジストレーションを行ったり、毎朝のコンチネンタル・ブレックファーストが振る舞われたりします。ちなみにこの朝食は、各国のMVPが口を揃えて文句を言っているようです。私も以前「何とかしてくれ」と直訴してました。そしたらナント!今年は日本人向けにみそ汁が用意されていたそうです。

ビルの内部 セッションはジャンルごとに分かれて小部屋で行います。今年は何といっても、Windows Vistaと次期Officeのチームが盛況だったようです。ちなみに、ビル内では飲み物がフリーです。また、休憩時間に合わせて果物やお菓子、軽食なども用意されます。もっとも、多くの外国人パワーによって、一瞬でなくなってしまいますけど(^^;

次期Officeのセッション 今年のセッションで驚いたのは、壇上のスピーカーが話している内容が、正面のスクリーンにリアルタイムで表示されたことです。もちろん英語で。あらかじめ話す内容をテキストにしておいて、話すタイミングで表示しているのかなと思ったら、その場で起こった質疑応答やスピーカーのジョークなども表示されるんです。後で聞いたら、誰かがリアルタイムで入力していたそうです。はっきり言って、これには驚きました。

スターバックス1号店 せっかくの海外旅行なのですから、もちろん観光にも行きます。右はスターバックス1号店です。昨年は面倒くさくて行きませんでしたけど、今年は近くまで行ったので寄りました。中はカフェというよりスタバグッズの売店です。ラテを買う客よりも、ラテを入れるおみやげ用のカップを求める客でごった返しています。店の外では「ほな、いくでぇ〜」と関西弁の一行が記念写真を撮影していました。ちなみにスターバックス1号店は、パイク・プレイス・マーケットにあります。

Columbia Winery ワイナリーにも行きました。レドモンドは気温が低いので、良質のワインができるそうです。ここは(たぶん)コロンビア・ワイナリーだと思います。ワインが作られる工程や樽の倉庫などを見学できて、ワイン好きな私としては大喜びでした。テイスティングしたワインは、実はそれほど美味しくなかったのですが、ブドウの品種などについてあれこれ質問できたので楽しかったです。記念にソムリエナイフを買ってきました。

スノコルミー滝 「ツイン・ピークス」の舞台になったスノコルミー滝にも行きました。「ここが、死体が上がった滝です」て言われても、見てなかったし……。それより、アメリカ人ドライバーとの会話が忘れられません。「駐車場に車を駐めるとき、どうしてアメリカ人は頭から入れるの?」と私が質問すると「誰でもバックで発進するときは慎重に、ゆっくり動かす。事故の大半は駐車場内で起こるのだから、発進するときにバックの方がいい」と。なるほど〜!今回の旅行で一番納得した会話でした。

ビル内の廊下 本社の友達に頼んで、彼のオフィスに入れてもらいました。一人ずつ個室が与えられているのはもちろんですが、ビル内の廊下にもいろんなモノが置いてありました。写真は、廊下に飾ってあった、Microsoftが今まで発売した製品群です。壁の世界地図にもいろんな情報が……。写真公開しちゃマズイかな(^^;

今まで発売されたソフトのレリーフ Microsoft本社(レドモンド・キャンパス)内は、低層のビルが点在していて、広い大学みたいな雰囲気です。ビルの中庭には木々やベンチが配置され、何ともうらやましい環境です。その中庭で足下を見ると、今までMicrosoftが発売したソフトのレリーフが埋め込まれていました。これは、ほとんど知られていなくて、Microsoftの社員も知らない人が多かったです。

お世辞にもウマイとは… Summitで出る食事は、ハッキリ言って不評です……。これだけは、何とか改善していただきたいですね。ちなみに、各ビルにはカフェテリアが設けられていて、簡単な昼食などは皆そこで食べていました(本当は社員しか入れませんけど)。さすがシアトルだけあって、カフェテリア内にはスターバックスも入ってましたね。

飛行機内 行き帰りともノースウェストでした。シアトル・タコマ空港までは行きが約8時間、帰りはなんと10時間ほどかかります。当然エコノミーですから、ほとんど拷問または"お仕置き"のようなものです。ただ、今年の飛行機は各座席に専用のディスプレイが付いていて、音楽はもちろん、最新の洋画や、日本の落語などを自由に見ることができました。ディスプレイ脇にはクレジットカードのスロットもあり、有料ですがメールの送受信もOKとのこと。あれで、もう少し座席が広ければ……。

ホテルの室内 ホテルはベルビューにある「DOUBLETREE HOTEL BELLEVUE」です。レドモンド・キャンパスまで約20分と立地は申し分なく、プールなどの施設も充実していました。宿泊費はMicrosoftが負担してくれるのですが、毎回なかなか豪華な部屋なので快適です。部屋からは、もちろんインターネット接続し放題です。MVP Global Summit開催中は、シアトル近郊のホテルがMVPだらけになります。何せ1500人を超す参加者ですから。このホテルにも、我々日本チームの他に中国チームも宿泊していました。フロントには「Welcome Microsoft MVPs」の飾り付けも(^^;

アメリカのExcel本 最終日、時間が余ったので本屋に入ってみました。仕事がら、興味はやはり「Excelの解説本」です(^^; 英語は苦手ですが、一応プロですから。立ち読みしただけでも、どんな内容かは理解できます。大きめの書店でしたので品揃えも豊富でしたが、正直言って日本の方がバラエティに富んでいます。日本の解説本は意外と人気が高く、翻訳されて海外で発売されるケースも珍しくありません。私の本も何冊か中国語に翻訳されています。本場アメリカの実情を見て、少し自信がつきました。

急性喉頭蓋炎
先日あるTVで、この病気についてやってました。ナニゲに見てたのですが、そういえば思い出しました。私この病気にかかったことがあります。急性喉頭蓋炎についての詳しい解説はこちらをご覧ください→笠井耳鼻咽喉科クリニック

まだサラリーマンをしていた頃です。ある晩、カレーライスを食べていたら急に喉が痛くなりました。少し風邪気味でしたので、それが原因だと考えました。市販の風邪薬を飲み、のど飴を舐めながら会社に通いました。しかし、喉の痛みは増すばかりで、そのうち食事もしづらくなりました。不安になって耳鼻咽喉科に行きました。喉が痛いだけなのだから、内科ではなく耳鼻咽喉科を選んだのですが、これが幸いしたようです。診察を終え、担当の医師に呼ばれました。開口一番、医師の口から出た言葉は「あなた、死ぬかもしれませんよ」でした。よく覚えています。

医師の説明は次のような内容でした。「喉には、気管に水分や食物が入らないようにする"フタ"のような部分がある。あなたの症状はこの"フタ"が炎症を起こして膨張してる状態だ。このまま一気に膨張すると、その"フタ"が気管をふさいで窒息死する可能性もある」と。驚きました。数十年生きてきて、それこそ数えられないくらい病院に行きましたが、医師から「死ぬかもしれない」と言われたのは初めてです。とりあえず抗生物質を与えられました。「もし呼吸が苦しくなったら、深夜でもいいから急いで救急車を呼ぶように。そうなったら一刻を争いますから」とも。

ちょうど5月の連休前でした。当時の会社は、日曜祝日でも社員が交代で出社しなければなりませんでした。取り急ぎ上司に連絡して事情を話し、連休中の出勤を代わってもらいました。自宅に戻り、病状を家族に話したとたん、家中の空気がズシリと重たくなりました。そりゃそうです。医師から「死ぬかもしれない」と言われたのですから。女房は所在なさげに立ちすくんでいます。まだ幼稚園前の長女は、無邪気にセーラームーンの人形で遊んでいます。子供を見ているうちに何となく涙が溢れてきて、子供を引き寄せて思い切り抱きしめました。それからの数日間は、人生の中でもっとも暗いゴールデンウィークでした。

抗生物質が効いたのか、幸い発作もないまま連休が明けました。まだ少し喉の痛みを覚えながらも会社に行こうとすると「こんなときに会社なんて」と女房は怒っていました。会社に着き、自分の机に荷物を置き、まずは上司のもとへ報告に行きます。「すみませんでした。実は…」という私の言葉を遮るように上司が「キミ!兼松はどうなってるんだ?キミが休んでいる間に電話があったぞ!すぐ担当者に連絡しなさい!それから、安田火災の見積はどうなってるんだ?まだ提出してないじゃないか!」

私が、その会社を辞めようと決意したのは、そのときでした。

CROSSOVER JAPAN'05
CROSSOVER JAPAN'05
毎年注目しているCROSSOVER JAPANですが、今年も開催されるようです。いつもはTVで楽しむだけですが、毎年「う〜ん…行きたいな…行こうかな…」と悩んでいます。ところが!今年はどうやら、悩んでいる場合ではありません!行くしかないでしょう!メンバーがハンパじゃありません!

出演:
井上堯之 with friends
シャカタク
高中正義 CROSSOVER JAM special guest 野呂一生
竹田和夫 クリエイション2005
T-SQUARE with special guest マリーン
ネイティブサン
Non Chords

高中先生と野呂一生だってぇ〜?!信じられません。あり得ません。想像しただけでもドキドキしてきます。昔「LOVE LOVE愛してる」で最初の頃、ほんの数回だけ高中先生とCharが一緒に演奏したことがありまして、そのときはTVの前で震えたのを覚えています。演奏中にニヤニヤしながら挑発するCharに対して、高中先生が露骨に嫌な顔をしていましたっけ。それが今度は野呂一生ですよ、あなた。クリスマスと正月と誕生日が一緒にくるようなものです。あ〜見たい!あ〜聞きたい!

井上堯之も竹田和夫も、何曲コピーしたかわかりません。クリエイションの1stアルバムに「ツインギターが爆裂!」みたいなキャッチコピーが書かれていて、3度でハモるだけの今ではどうってことない演奏でしたけど、当時は仲間と懸命にコピーしたものでした。
「男女7人夏物語」の挿入曲として有名になったシャカタクは、どちらかというとBGM的に認識されていますが、実は超絶テクバンドでした。一度「シオノギ・ミュージックフェア」に出演したとき高中先生と共演したのですが、シャカタクのギターにぶっ飛んだ記憶があります。そしてネイティブサン。遅く起きた日曜日などにはピッタリのネイティブサン。

決めました。今年はゼッタイ行きます。そう決めました。さっそくe+で詳細を確認します。会場は代々木体育館だそうです。よく知ってます。公演日は……げげげぇ!!!その日はExcelセミナーの日ではありませんか!!私が講師ですから、休むわけにはいきません……。むむ〜しかたありません…スカパーの放送と、DVDの発売を首を長くして待つことにします。ちっくしょう!当日私のセミナーに参加される方は覚悟してくださいよ!

(画像の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

ニフティ
NIFTY-Serve

ニフティがパソコン・ワープロ通信サービスを廃止するそうです。NIFTY-Serveは現@niftyの前身です。富士通と日商岩井が共同出資した会社で、いわゆるパソコン通信のホスト会社としてスタートしました。

パソコン通信というのは、パソコンに電話回線を接続して特定のネットワークに接続するサービスです。ホストによっても違いますが、掲示板やチャット、オンラインソフトなどをダウンロードできるライブラリなどを利用できます。こうして書くと現在のインターネットと同じように聞こえるかも知れませんが、決定的な違いは「特定のホストにしか接続できない」ということです。インターネットのようにリンクをたどって、世界各国のサーバー、企業や個人のサイトなどを見ることはできません。NIFTY-Serveに接続したら、NIFTY-Serve内のサービスしか利用できないんです。もちろん完全な会員制で、事前の入会申請でIDとパスワードを入手しないと接続することすらできません。今でいえば、mixiやgreeのようなSNSに似たイメージです。

私がNIFTY-Serveに加入したのは1989年です。通信速度は1200bps〜2400bpsという時代でした。1MBのファイルをダウンロードするのに1時間かかったものです。当時はパソコン通信のブームが始まった頃で、NIFTY-Serve以外にもNECが主催していたPC-VAN(現BIGLOBE)や、技術者や開発者のようなヘビーユーザーに好まれた日経mixなどのホストがありました。そういえば「FMVではじめるNIFTY-Serve」という本を書いたこともありましたっけ。

それまでパソコンは、スタンドアロンで使うのが普通でした。自分で作ったデータは自分のパソコン内に保存し、自分のパソコンにインストールしてあるソフトしか使えません。もし何かのデータを他人に渡すときは、ファイルをフロッピーディスクに保存して手渡します。ところがパソコン通信に接続すると、いつものようにキーボードから打った文字が、そこのホストに接続している数万人の画面に表示されます。チャットのようなリアルタイムサービスなら、画面上で会話をすることも可能です。初めてパソコン通信に接続したときの感動は今も忘れられません。モデムから流れる、FAXのような"ピ〜ガガガ"という通信音を聞くだけで胸が高鳴りました。

チャットにはまったときは、1ヶ月の電話代が2万円を超えました。女房への言い訳を必死で考えたものです。初めてオフ会に参加したときのこともよく覚えています。会ったこともない人たちと、いきなり酒を飲みに行く…というのは、かなり珍しい出来事に違いありません。それなのに、初めて会ったのに、顔も知らなかったのに、声も聞いたことがなかったのに、なぜかずっと以前から知り合いだった気がしてきました。ネット上で恋に落ちて、そのまま結婚するカップルもいるそうですが、なるほど納得できます。

パソコン通信のことを語ればきりがないのですが、それはまた別の機会に。

(画像の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

松田聖子
松田聖子
デビュー25周年だそうです。
それほど熱烈なファンではありませんでしたが、もちろん嫌いでもありません。25周年って、四半世紀ですか・・・それだけの間アイドルを続けてきた松田聖子は、やはり偉大な女性なんですねぇ。

先日うたばんにゲスト出演したとき、MCの石橋貴明が「(聖子ちゃんの)曲を聴くと、その当時の光景や出来事を思い出すよね〜」と言っていました。「あの頃はカセットテープでさぁ〜」と。テレビを見ながら、その部分に激しく共感してしまいました。私にもたくさんあります。聴くと当時の光景や出来事が鮮明にフラッシュバックする曲が。

たとえばBOSTONの「More Than A Feeling」を聴くと、大学1年の頃にバイトしていたジロー蒲田店を思い出します。いつもバイトに向かう前、部屋でしたくするときに聴いていた曲です。まだ開店前の駅ビルに従業員専用口から入り、客のいないフロアを更衣室へと向かいました。男性用更衣室は狭くロッカーだけが並んでいます。そしてなぜか何となく油の匂いがしていました。キッチンみたいな油の匂いです。ボストンの「More Than A Feeling」を聴くと、今でもその油の匂いがしてきます。

PABLO CRUSEの「I Want You Tonight」や高中正義の「Blue Lagoon」を聴くと湘南の光景が目に浮かびます。よく波乗りに行くとき流した曲です。いつも渋滞している134号。エアコンが付いていないシビックの車内は、窓を全開にしても意味がありませんでした。辻堂海浜公園の駐車場、強烈な太陽、ローラースケート…エネルギー全開だった夏の日を思い出します。

Michael Jacksonの「She's out of my life」はほろ苦い胸の痛みがよみがえってきます。当時付き合っていた原ちゃんと、ささいな勘違いから別れ話をしたのは有楽町のアマンドでした。市川店長とミカさんは気を遣ってくれて、僕たちを一番奥のテーブルに案内してくれました。「今までありがとう」「私こそごめんなさい」ユーミンかオフコースの歌詞に出てきそうな会話を終えたあと、最後のキスをして、伝票を持って先に店を出ました。その足で向かったのは小池の部屋です。寝起きで少し不機嫌だった小池は「いま原ちゃんと別れてきた…」という僕の言葉に、何の関心もないような素振りで「She's out of my life」をかけてくれました。小池が入れてくれたインスタントコーヒーは、いつもより苦くて、冷えたカップに半分ほど残したまま曲を聴いていました。

ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」を聴くと、中学時代に友だちの部屋で聴いたラジオを思い出します。それがフランス語とも知らず、スピーカから流れる洋楽に一生懸命耳を傾けたものです。SUPERTRAMPの「Breakfast in america」を初めて聴いたのは、大森のスナック「プレジデント」でした。有線から流れる曲を聴いて感動し、店長の野原さんに曲名を教えてもらいました。ちなみに、プレジデントの下にあった焼鳥屋は超ウマかったです…。

こうして思い出すとキリがないですね〜。松田聖子とは関係ない話になっちゃいましたけど、でも「赤いスイートピー」も必ずある光景が思い浮かぶ懐かしい曲です。それはまた、違う機会にでも。

BOSTON「More Than A Feeling」


  PABLO CRUSE「I Want You Tonight」


高中正義「Blue Lagoon」


  Michael Jackson「She's out of my life」


SUPERTRAMP「Breakfast in america」



(写真は、HMVから)

睡眠
睡眠
ふだんの私は24時間サイクルで生活していません。30時間くらい連続してキーボードを打つことも…たまにあります。そのせいか睡眠時間もまちまちです。深夜の決まった時間になって「さて、そろそろ寝るか」と電気を消して、目覚ましをセットしてベッドに入り、まどろみから覚めると、カーテンの隙間から朝日が差し込み〜などという流れはとんと記憶がありません。私にとって睡眠は「いつ寝る」ではなく「どうなったら寝る」です。つまり、起きていられなくなったら寝るというパターンなんです。まして、日々仕事に追われている最近では、寝る=仕事をしない=悪いこと という認識も芽生えはじめ、仮眠から目覚めたときに思うことは決まって「ヤベ…寝ちまった…」です。そして慌てて時計に目をやり、その時刻が午前なのか午後なのか……と考えてドキドキします。

仮眠の時間は、だいたい1.5〜2時間くらいです。24時間単位で生活していませんから、仮眠を「1日に」何回とるかはわかりません。5時間仕事をした後で仮眠するときもありますし、20時間仕事した後で仮眠することもあります。ちなみに、仕事がどうにもならなくなると、仮眠の時間は15分になります。「もうだめ、限界」となると、キッチンタイマーを15分にセットしてベッドに倒れ込みます。10分では熟睡できず、20分眠るともう起きられません。この15分睡眠は、長年のライター生活で身につけた(自慢できない)特技です。15分間熟睡すると、夢も見ますし、タイミングがよければ数時間眠ったような気分になります。

「よく寝ないで大丈夫ですね」と言われるたびに、自分でも何でだろうと考えたりします。人間は起きて生活しているとき脳を使っています。確か脳は、使い続けると疲労物質が分泌されるそうです。その疲労物質には睡眠物質が含まれているので、一定時間起きている(脳を使っている)と自然に眠たくなるのだそうです。そして、想像ですけど、たぶん眠っている間に今度は睡眠物質を消す物質が分泌されるのではないでしょうか。普通はゆっくりと。深夜ベッドに入って眠っている間、脳の中では蓄積された睡眠物質を少しずつ除去しているのでは。もし、毎日7時間決まった時刻に眠る人なら、7時間かけて蓄積された睡眠物質を消し去るのでは…って気がします。で、私の場合は、1回の睡眠がいつも短時間です。短時間で何とか睡眠物質を除去しなければなりません。だからきっと、睡眠時に分泌される除去物質が、短時間で大量に発生するのではないかと想像しています。長年の生活リズムが原因で、脳がそういう状態になっているのではないかと。

そんなことを考えていると、短時間睡眠も自分自身で納得できてきます。眠くなると「あ〜睡眠物質が蓄積されてきたな」と意識します。身体を動かしたり、カフェインを飲んだり、冷水で顔を洗ったりすると、ふだんは眠っているときしか分泌されない除去物質が少しだけ(強制的に)脳内に登場します。それでも眠気が覚めないときは仮眠します。仮眠するとき、脳内に分泌された睡眠物質をイメージします。そして、この仮眠ですっかり除去される結果をイメージします。そんなふうにして睡眠をコントロールした気分になると、短時間の睡眠でもけっこう生きていけるものです。だけど、良い子はゼッタイに真似しちゃダメだよ!!

(画像は、Microsoftクリップアートから)

iPod shuffle
iPod shuffle
iPod shuffleが発売されました。もうみなさん、ご存じですよね。はい、もちろん私も欲しいです♪たぶん、そのうち買うと思います。

先日ある雑誌でiPod shuffleに関する記事が載っていまして、それによると「iPod shuffleの登場で人々の生活習慣や経済が変化するかもしれない」そうです。たとえば、膨大な数の曲を手軽に持ち歩けるということは、いつでもどこでも"ヒマつぶし"ができるというわけで。てことは、待ち時間を苦痛に感じなくなるのでは…と。それなら、今までは避けていた人気店の行列に並んでもいいかな…と。そうなると企業側は「少しくらい並んでもお客がくる」という前提で店舗の設計や商品開発を進めるようになるのではないかと。

なんだか「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいに感じるかもしれませんが、これを読んで思い出しました。そういえば初代ウォークマンが登場した時期に、大学のマスコミュニケーション論で似たような講義を聞きました。ウォークマンの登場によって、音楽のジャンルに変化が生じたという話です。

ウォークマンの登場以前、音楽は屋内で聴くメディアでした。音楽を聴いているときは、椅子に座るなど止まっている状態が基本です。しかし、ウォークマンは音楽を屋外に解放しました。音楽を"歩きながら"楽しむようになったのです。そのとき、どんな音楽が好まれるか。そう、"歩くリズムに相応しい"音楽です。そんな講義を聞きながら(ホントかよ〜)と思ったのですが、ちょうど時を同じくしてテクノミュージックが流行り始めたわけで。あの有名なYMOも、ウォークマンのブームと時期が近いはずです。確かにライディーンは歩きながら聴くのにピッタリです。つい踊りたくなるほどのリズムなのですから、何とも軽快に歩が進みます。実際の市場調査や意識調査の結果を見たわけではありませんから、眉唾かもしれません。でも、本当にそうなのかもしれません。いずれにしてもウォークマンやiPod shuffleは、"ヒト"に影響を与えるような"モノ"に違いありません。欲しいです♪

(写真は、Apple Storeから)

表計算大会
表計算大会

今年も始まりました。日経PC21主催の「表計算大会2005」。2005というのは、審査結果の発表が2005年になるという意味ですが、問題の発表は2004年の12月です。私の管理上はNBAなどシーズンが年をまたぐスポーツにならって「表計算大会2004-2005」としています。

さて、次々と力作が応募されてきて、審査のために夜も眠れない日々を過ごしているのですが、あいかわらずの困った作品が多いのには閉口してしまいます。大会も8年目を迎えましたので、さすがに慣れましたけどね。

詳細は昔書きましたので「2002/01/26 表計算腕自慢大会2002 (審査後記)」をご覧ください。その中でも論外なのは、応募票を正しく書いてこない作品です。

 氏名:田中亨
 ふりがな:たなかとおる

と書くべきところを、

 氏名:田中亨(たなかとおる)

としたり、年齢の項目に

 年齢:38(ただし来年の1月には39になります)

だったりと。応募票は出題側が定めたルールですから、そのルールに従わない作品はそれだけで×です。まあ私も鬼ではありませんから一応見ますけど、すでにマイナスから審査がスタートするのはやむを得ないことでしょう。ちなみに過去7回の大会で、応募票に不備のある作品が一次審査を通過したことはありません。これは審査を厳しくしたという意味ではなく、応募票すらルール通りに書けないようでは作品自体も・・・ということです。

さらに、応募要項に「作品は、1問につき1作品のみ応募できます」と明記しているにも拘わらず、同じ問題を複数応募してくる方もいます。たとえばQ1を2作品応募してきたとか。こうしたケースは基本的に審査しません。意地悪をする気はありませんが、どちらを評価すればよいかわからないからです。「見ればわかるだろ」とか「コメントに書いてある」と言う方は、一度5000件のブックを数週間で審査してみてください。いずれにしても、まずは基本的なルールを守って応募してください。ホント、お願いします。なお、過去に一度だけ、複数応募の作品で素晴らしいものがありました。普通なら問題なく一次審査を通過して、ややもすると賞候補となるような作品でした。このときは悩んだ結果、一次審査は合格としましたが賞の候補には入れませんでした。

うるさいことを書きましたが、表計算大会はお祭りのようなイベントです。ルール内で自由に楽しんでいただければと思います。今年はどんな作品が寄せられるかを楽しみにしています。どうぞ、ふるってご応募ください。

(画像は、日経PC21から)

mixi
mixi
友人に誘われてmixiデビューしました(^^;
「紹介された人だけが参加できる」というプチ閉鎖性が受けているのでしょうか、登録者数も10万人近いようです。いや、正確には知りませんが…。

mixiは妙に居心地がいいです。日記を書いたり、同じ趣味の人たちとコミュニティを作ったりできるだけで、特別に目新しいコミュニケーション機能があるわけではありません。それでも、コミュニティでの発言は妙にフレンドリーだったり、誹謗や中傷も少ないように思えます。…これは、どこかで感じた印象です。

最近の方はご存じないかもしれませんが、昔のパソコン通信によく似ているんです。まだインターネットなど日本ではほとんど知られていない時代に流行ったパソコン通信は、特定のサーバーに会員がアクセスして、その閉じたネットワーク内でさまざまな情報交換が行われました。電子メールの機能もありましたが、たいていは同じネットワーク内でしか送受信できませんでした。今のインターネットのように、世界中の誰にでも手軽に送信などできなかったのです。

コミュニケーションの中心はフォーラム(Nifty-Serve)やSIG(PC-VAN)です。要するに掲示板です。たとえばサッカー好きが集まって「サッカーフォーラム」を作り、その中に「試合速報」や「ルール解説」などの掲示板を作ります。サッカーに興味ある人だけがフォーラムに参加し、それぞれの掲示板で情報を交換します。最近流行しているblogのように、リンクしたり画像を貼ったりはできません。テキストベースの限られた掲示板でした。それでも、自宅にいながら見識者と直接意見交換できる自由さや、自分の意見を不特定多数に対して発信できる手軽さは画期的な出来事でした。そんな、ネットワーク・コミュニケーションの原点を感じさせるmixiは、情報過多の現在だからこそウケているのかもしれませんね。

(画像は、mixiから)

横浜
Coloさん|近田さん|私
先日、みなとみらいで開催されたTech Edに行ってきました。
朝9時から始まるセッションなどもあり、おまけに、どうせ毎晩誰かしらと飲みに行くのだろうから…と、横浜の実家に一週間ほど里帰りしました。写真(中)は、Excel MVPに挟まれて酔っぱらっている近田さんです。てゆーか、私が一番酔っていたかも…

久しぶりの横浜は、変わったところあり、変わらぬところあり…で、とても懐かしかったです。
会場となったパシフィコ横浜は、みなとみらいの奥にあります。実は"みなとみらい"と言われてもピンときません。私的にあのへんは"桜木町"です。桜木町から私の実家までは、歩いても行ける距離です。もっとも、よほどのことがない限り歩こうとは思いませんが、自転車に乗っていいのなら楽勝です。昔は、高島町の経理学校まで毎晩自転車で通ってましたしね。
桜木町は大きく様変わりした街のひとつです。昔の桜木町といえば、ガード下の落書きと、紅葉坂の図書館くらいしか印象がありません。あとは、駅前の吉野家くらいかな…。それが今や、見事なまでのオシャレな街に変貌していました。赤レンガ倉庫なんて、立派なデートスポットですね。昔はよく刑事ドラマのロケに使われてましたっけ。

中華街も相変わらずの盛況です。いや、みなとみらい線の開通で、以前に増して人が増えた気がします。梅蘭の名物焼きそばを食べてきました。元町商店街は、今も昔の風情を残しています。ミハマもフクゾーもポピーもキタムラも、懐かしい記憶のままです。坂を上って外人墓地に出ました。山手は時間が止まったようでしたね。昔は自由に入ることができた外人墓地は相変わらず涼しげで厳格な空気を漂わせ、山手十番館の美味しいコーヒーと良質のサービスは連日の猛暑を忘れさせてくれます。ぼけ〜と海を眺めるのに最適な港の見える丘公園では、相変わらず皆ぼけ〜と海を眺めていました。もちろん私も(^^;

横浜はサイコーです。

サザンオールスターズ
桑田佳祐
好きな音楽や好きなミュージシャンは多いのですが、桑田佳祐は同じ時代に生きていることを感謝したいくらい大好きです。 「勝手にシンドバット」でデビューしたときの鮮烈さは忘れられません。"世良政則とツイスト"とほぼ同時期にデビューしたため両者はよく比較されましたが、和製ロックと評されるツイストに対してサザンオーツスターズはお笑いバンドと勘違いされたこともありました。一説では、当時人気を誇っていたドリフターズから桑田さんがスカウトされたこともあったとか。

その当時、ちょうど大学でバンドを組んでいたこともあり、親近感と思い入れと感動は人一倍強かったです。ちなみにツイストがグランプリを獲得したヤマハのポプコンも、サザンオールスターズがデビューのきっかけとなったイーストウェストも、どちらにもエントリーしました。もちろん両方とも予選落ちでしたけど…。イーストウェストの参加記念にもらったキーホルダーを根岸線の車内で無くしたことは、一生の後悔です。

実は一度だけ桑田さんと会ったことがあります。原坊の親類が入院したとき、その看護にあたっていたのがウチのバンドでドラムを叩いていた岡本クンの彼女でした。残念ながら天に召されたのですが、病室で原坊が消沈していたと聞き、オールナイトニッポンが終わって出てくる桑田さんをニッポン放送の出口で待ち伏せしました。他のファンに混じりながら桑田さんに近づき「これ原坊に渡してください」と手紙を差し出しました。その場で文面を読んだ桑田さんは顔を上げて「キミたち、どうして知ってるの?」と驚いていました。簡単に事情を説明すると納得してくれ「そうか…ありがとうね。そういえば担当の看護婦の彼氏がバンドやってるって聞いたけど、キミたちか…がんばってね」と。あのシブイ声で、穏やかに話す桑田さんを今でもよく覚えています。

先日、そのサザンオールスターズのライブを、珍しくテレビで生放送しました。大晦日のカウントダウン以外で、こうした生放送は超貴重です。2台のビデオに加えてパソコンでも録画しながら、立ち上がり、腕を振り、一緒に大声で歌いました。深夜の事務所で…。なお、バレーボールの放送が延長になったおかげで、放送時間が15分間後ろにずれました。タイマー録画を信じて最後の15分を見逃したファンから、多くのクレームが入ったことでしょうね>CX

motoGP
やったゼ玉田
F1と同じくらいmotoGPが好きです。
もともと(シャレではありません)バイクが好きで、学生時代からよくツーリングなどを楽しんでました。それほど才能はないので、はっきり言ってコーナーは遅かったです。ですから峠を攻めるというより、海岸沿いの道をクルージングみたいな乗り方が多かったですね。
日帰りツーリングが多かったので、近場の伊豆とか長野、群馬あたりへよく走りにいきました。

だからでしょうか、鈴鹿の8耐とかmotoGPを見るとワクワクします。コーナー中に傾いて見える景色や、空気の暖かさや冷たさ、カストロールの焼ける匂いなどがよみがえってきて、知らずにアドレナリンが分泌されてきます。そんなmotoGPで玉田がやってくれました。第7戦ブラジルGPで見事優勝です。思わずテレビの前で大声をあげてしまいました。しかもしかも、その日はなんと大ちゃん(故加藤大治郎選手)の誕生日。昨年、大ちゃんの悲報直後のレースでチームメイトのジベルノーが優勝したときは、しばらく涙が止まりませんでしたが、今回もそれに似た感動を味わいました。

F1でも佐藤琢磨が表彰台に上がったりと、今年のモータースポーツは目が離せません。

(写真は、YAHOO!JAPAN 写真ニュースから)

業務用
業務用
私はコーヒーをよく飲みます。
本当は豆から選んで味わいたいのですが、時間的&精神的な余裕がないもので、ついついインスタントコーヒーでお茶を濁します。
インスタントコーヒーの中でもお気に入りはネスカフェです。ゴールドブレンドではない、普通の黒いやつがクセもなく大好きです。そういえば高校生の頃から、この銘柄ばかりを飲み続けているような気がします。

1日中パソコンに向かう仕事ですから、だいたい1日に20杯くらいは飲むでしょうか。250g入りの大きいビンでさえ、1ヶ月くらいで空になります。で、先日スーパーへコーヒーを買いに行ったのですが、珍しく袋入りを見つけました。なるほど、詰め替え用か…と納得して買ってきました。数日後、その袋入りを瓶に移し替えようとしてフト見ると、なんとこの袋入りは業務用だったのですね。「な〜んだ、そうだったのか〜」と納得したものの、ちょっと待てよ、と。ネスカフェのインスタントコーヒーを出す喫茶店やレストランなんてあるのか?と。それで金とれるのか?と。

まぁ、広い世の中ですから、いろんな店があるのでしょうね。高校生のころ何度か行った、中野の喫茶店「クラシック」にはコーヒーとオレンジジュースともうひとつくらいしかメニューがなく、オレンジジュースを頼むと粉末ジュースが出てきたものです。そういえば、お冷やのグラスはワンカップ大関の空き瓶でしたっけ。与論島でディスコをやっていたとき、とある喫茶店のメニューに「ラーメン」を見つけて注文したら、「はい、どうぞ」とカップヌードルが出てきたこともありました。もう20年以上前の話ですけど……。

レントゲン
注射
健康診断を受けてきました。市区町村が主催する"ミニ"健康診断ですから、1時間ほどで終わりです。ミニとはいえ、一通りの検査は受けました。心電図・血液検査・血圧検査・尿検査などの定番から、視力検査かと思ってたらいきなりフラッシュで驚いた眼底検査、「息を吸って〜はい、止めてぇ〜」の胸部レントゲン、これだけ科学が発達した現在、もっと他に方法ないのか?と思いつつバリウムを飲む胃部レントゲンなどなど。身長を測るとき心持ち胸を張ったり、体重計に乗る前に「ポケットの中を出してもいいですか?」と言いたくなるのは、男性も女性も同じ心理です。

受付のとき、磁気カードを1枚ずつ受け取ります。磁気カードは個人ごとにデータを書き込んでいるようでした。ほほ〜IT化が進んでるな〜と感心していたら、胸部レントゲンでさらに驚きました。レントゲンの機械というと、何やら巨大なカメラのような印象だったのですが、バスの中に設置されたソレはどうも様子が違います。巨大なカメラというより、巨大なセンサーみたいな感じです。胸に押し当てるのは巨大なレンズではなく巨大なタッチパネルのようなもの。「息を吸って〜はい、止めてぇ〜」の指示は相変わらずですが、終わった直後に「では画像を確認しますから」と側のノートパソコンを指さします。見ると、今撮影したレントゲン画像がノートパソコンのディスプレイに表示されるではありませんか。いやぁ〜すごいですね〜。

そこまで技術が進んでいるのでしたら注射しなくても採血できる技術や、ゲップを我慢しなくても胃が膨らむ薬なども近い将来出てくるかもしれませんね。期待してます...

(写真は、Microsoftクリップアートから)

IP電話
Bフレッツ
前に「Bフレッツにする」と書きました。その後の顛末なども、ここに書こうと思ってました。しかし、仕事が忙しかったのと、何も事件やトラブルが起こらず、すんなりと開通してしまったので正直ひょうし抜けでした。いえ、決してトラブルを望んでいたのではありませんけど…。

そして先日、NTT東日本からIP電話用のVoIPアダプタが届きました。ルーターに接続して設定し、niftyにアクセスしてIP電話の番号を取得して、FAX機能が壊れて眠っていた電話機を接続したら、とりあえずIP電話を利用できるようになりました。しかし、ここでトラブル発生!

なぜか市内と携帯には問題なく電話できるのですが、市外電話ができません。いくら設定を見直しても問題はありません。24時間サポートに電話したりしてかなり悩んだのですが、電話機本体を眺めていてハタっ!と気づきました。そういえばこの電話機、スーパーACR機能をオンにして使っていたのです。スーパーACRとは、市外電話をかけるとき自動的に日本テレコム(0088)やDDI(0077)を経由して発信してくれる機能です。つまり市外通話の電話番号は、先頭に0088や0077が自動的に付加されてしまうんです。ちなみにIP電話からは0088や0077を利用できません。だから通じなかったんです。そりゃそうです。理由がわかってしまえば「なぁ〜んだ」ということです。まったく、とほほでした…。

優先席
優先席
先日、京王線に乗って調布に行きました。
午後の電車は少し混んでいて、私は優先席の前に立っていました。途中の駅で乗り込んできた数人の中に、年配(と思われる)の男性がいました。優先席に座っていた女性が席を立ち「どうぞ」と一言。いい光景です。すると男性は「いえいえ、けっこうです」と断りました。

よく、年配の乗客がいても席を譲らないという「マナーのなさ」が話題になります。それはもっともですが、譲られる方もマナーを認識していただきたいです。そうした状況で席を譲るというのは当然の行為ですが、それでも気恥ずかしさや、思い切りも必要です。意を決して席を譲るのですから、譲られた方はその気持ちをくんで、断らないのがマナーではないでしょうか。席を譲られると「わたしはそれほど年寄りじゃない!」と憤慨する人もいるそうです。しかし、譲ってくれた人は善意でアクションを起こしてくれたんですよ。あなたのために。善意を拒絶されたとき、その人がどんな気分になるか想像してください。もしかしたら(もう二度と席を譲るものか)と決意するかもしれません。いろいろな意見もあるでしょうが、少なくとも私はそう思います。「どうぞ」「ありがとう」とシンプルなやり取りが約束されているのでしたら、譲る方も気軽に席を立てるようになると思います。このとき、日本人にとって美徳とされる遠慮は、かえって譲る側の勇気を鈍らせるだけです。

優先席では、譲る側だけでなく、譲られる側もマナーを守りたいものです。

(写真の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

佐藤琢磨
佐藤琢磨
F1が好きです。
事務所にスカパーを入れた理由の1つは、F1観戦を楽しみたいからです。ちなみに他の理由として「NBAの試合を見たい」「昔のドラマを見たい」などもありますが…。さて、2004年シーズンも中盤を迎えたヨーロッパGPで、日本人ドライバー佐藤琢磨が予選第2位を獲得しました。久しぶりにテレビの前で拳を握り、やったぁ〜と叫んでしまいました。日本人としては、もちろん最高グリッドです。スタートの得意な佐藤琢磨ですから、こうなれば表彰台も期待してしまいます。

予選1位はミハエル・シューマッハです。佐藤琢磨はミハエルの隣に並びます。この最前列をフロント・ロウと呼びます。ロウ(ROW)はExcelでも使われる用語ですが、Excelの場合は行を表します。たとえばワークシート関数のROWは、セルの行数(1・2・3…)を返します。Excelで列(A・B・C…)を表すのはコラム(COLUMN)です。長年Excelに携わっているためか、ロウ(ROW)と聞くと頭の中に行がイメージされます。だからでしょうか、フロント・ロウのことを最前と訳されると、何となく違和感を感じます。かといって、最前行では変ですし、フロント・コラムなんて呼ばれてもピンときません。やはり、スタートグリッドの先頭はフロント・ロウですし、日本語では最前列でしょう。まぁ、どっちでもいい話ですけど。

F1で表彰台に上った日本人は、鈴木亜久里ただ一人です。90年の日本GPで第3位に入賞しました。テレビで観戦していたのですが、このときは上位ドライバーが次々とリタイアしたのも勝因のひとつでした。いえ、批判しているのではありません。リタイアせずに完走することはドライバーにとって重要なことです。しかし、できれば"タナボタ"と揶揄されない勝ち方を期待します。佐藤琢磨には、ぜひがんばってもらいたいです。

(写真は、HONDAから)

Bフレッツ
Bフレッツ
とうとう我慢できず、NTTのBフレッツを申し込みました。
たまに驚かれるのですが、Office TANAKAの回線はISDNです。超遅いです。激遅いです……。どれくらい遅いかというと、インターネットから約2MBのファイルをダウンロードするのに5分程度かかります。ちょっと大きい5MBのファイルになると、間違いなく12分はかかります。サーバーのログなど大きいファイルをダウンロードするときは、仕事とは別のパソコンを使いますので、その間仕事が止まることはないのですが、最近は普通のホームページでも読み込みに時間のかかるページが珍しくありません。たまに回答する答えてねっとなども、タイトルをクリックしてから質問の内容が表示されるまで、イライラするに十分な時間がかかります。ちなみに、答えてねっとはこちらです→答えてねっと

つーことで、Bフレッツを申し込みました。知らなかったのですが、Bフレッツのニューファミリータイプって、月額の使用料が5,000円程度なんですね。10,000円くらいかかるのかと思ってました。さらに、メインで使用しているプロバイダの@niftyも、現在のフレッツISDNコースからBフレッツコースに変えると、何とこちらも月額の使用料が安くなるんですね〜。まったく、高い金を払って遅い回線に閉口してたなんて……なんか、損をしていた気分です。

まだ申し込んだだけで、工事も済んでいません。開通したら、あらためて使い心地などをレポートしますね。

(画像は、NTT東日本から)

金銭感覚
財布
「あれ?何でこんなに金が少ないんだ?」って思うことがよくあります。特に、銀行から1万円札を引き出して、そのまま買い物に行って、帰ってポケットから残金を出したときなどです。
つい先日も、そんな感覚を味わいました。米がなくなったので、1万円札を1枚持ってスーパーに買い物に行きました。ついでに食材をあれこれと。レジで確か、3000円くらい支払ったと思います。その後、隣の書店に行って、Visual C#のマニュアル本を買いました。確か、2000円台の本でした。

頭の中では、3000円+2000円=5000円くらいの出費です。現在の所持金は5000円くらいのはずです。車に向かいながらポケットを探ると、1000円札が…3枚しかありません。残り3000円です……イメージでの残高5000円に比べて、現実の残高が3000円…へ?なんで?って感じです。

まぁ、レシートをよく見てみれば、最初のスーパーは「3000円くらい」じゃなくて3695円でした。C#の本「2000円台」も正確には2730円です。合計で6425円です。1000円札が残り3枚で合ってます。ポケットの奥では小銭もジャラジャラいってます。こうして文章で書くと、当たり前のようですが…その……つまり……「あれ?何でこんなに金が少ないんだ?」って思うことがよくあるんです。おそらく、私だけではないと思いますけど。

(写真の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

可愛かずみ
可愛かずみ
サーバーのログを分析するといろんなことがわかります。どのページが人気あるかとか、トップページを何人くらいが見ているのかとか……。googleなどの検索サイトから、どんなキーワードで検索した結果ウチにたどり着いたのかもわかります。そのキーワードを集計・分析することで、Excelに対しての要望や疑問点なども見えてきます。

検索キーワードを見ていると、時には驚く文字列も含まれています。何日か前ですが「可愛かずみ」というキーワードからOffice TANAKAにジャンプしている記録が残っていました。へ?…ん?…まてよ……と。確かに私は可愛かずみのファンでした。もう20年くらい前でしょうか、とんねるずと共演していた深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」は毎週欠かさず見ていましたし、ひょうきんベストテンに中森明菜のパロディで登場するのも楽しみにしていました。その後、片岡鶴太朗主演の「季節はずれの海岸物語」にもレギュラーで出演していましたね。余談ですが、ぜひ再放送していただきたいドラマのひとつです>季節はずれの海岸物語
地上波が無理なら、何とかCSでお願いします>CX

でも、どうして可愛かずみのキーワードでOffice TANAKAにジャンプできるのでしょう。いくらファンだったとはいえ、Excelコンテンツの中に名前を出した記憶はありません。まさか、サイト管理者の好みまで把握しているのか?google!恐るべし!!……のはずはありません。実は可愛かずみという名前を一ヶ所だけ使っていたのです。すっかり忘れていました。
それはコンテンツではなく、サンプルのExcelブック内です。Q&Aの「入力規則で設定した2つのリストを自動的に切り替えるには」という 質問 に対して、こんな感じです…と、サンプルの ブック をダウンロードできるようにしています。このブックの中に出てくるんです。可愛かずみという名前が。確かに使ってました。でも、HTMLファイルだけでなくブックの中まで検索しているなんて……やはり、google恐るべし!ですね。

ちなみに、このページで何度も"可愛かずみ"という名前を連呼しましたので、これからはこのページがヒットすることでしょう。

(写真の出展元は…すみません、わかりません。ネット上のどこかです…)

接客用語
こんな商売をしているからでしょうか……日本語には、かなり敏感な方だと自覚しています。
最近ではすっかり有名になった、コンビニのレジなどで聞かれる変な日本語にも、かなり前から違和感を感じていました。

  1000円からお預かりいたしま〜す

なぜ「から」なのでしょう?1000円札「を」お預かり……のはずです。また、釣り銭のいらない金額を渡したときでさえ、

  859円ちょうどからお預かりいたしま〜す

と言われることがあります。ちょうど「から」って何だよ?「から」って!
大手デパートのレジ係として長年勤務していた方に聞いたのですが、そのデパートの新人研修でも「〜からお預かり」と教わるそうです。ここまで蔓延してくると、そのうち正しい日本語と認知される日が来るかもしれませんね。

ファミレスなどのレストランでも、よく変な日本語を耳にします。タモリがテレビでネタにしていますが、

  こちらハンバーグになりま〜す

とか、

  デザートの方お持ちしましたぁ

などなど。何が正しい日本語で、何が正しくないかは別にして、自分が使う言葉がおかしくないかどうか…というアンテナを忘れないで欲しいですね。先日子供へのプレゼントを買ったときも、不思議な日本語を聞きました。プレゼント用のラッピングが済んだ商品を私の前に持ってきて、

  リボンの方、こちらでよろしかったですかぁ

事前に、どんなリボンが「よろしい」かといった指示や確認をした記憶はありません。オマカセでやってもらったはずです。「こういう包装になりますが、よろしいでしょうか?」という意味だと思いますが、それならそう言えばいいじゃん…と。
最後に、私がもっとも嫌う応対が次のようなパターンです。

  私「これの青色はありますか?」
  店「そこに出てるだけなんですよ〜」

「青色はありますか?」の問いかけに対しての答えは「ある」か「ない」かですよね。「そこに出てるだけ」という店の事情を話してくれてもうれしくありません。さらに「そこに出てなければ在庫切れ」ということは、出ているか出ていないか、つまり「あるかないか」を自分で判断しろということ。「ありますか?」と質問している客に対してこれは失礼でしょ。
ごくまれに「そこに出てるだけなんですよ〜」を「(お客様がお望みの色は現在在庫が切れておりまして、残念ながら)そこに出てるだけなんですよ〜」という意味で使う店員もいます。それなら前半部分を省略しないでいただきたいです。前半部分こそ、お客様への適切なお応えなのだと思います。

Microsoft本社(2)
Microsoft本社 で、Microsoft本社ですけど、ホント広かったですね〜。空き時間に一人で散歩したり、友人の車で敷地内を回ってもらったのですが、そもそも、どこからどこまでが本社の敷地内なのかよくわかりません。高い塀に囲われているわけでもないし、確か敷地内に高速道路も横切っていたような…。その敷地内に低層ビルがたくさん建っています。とはいえ、それぞれのビルとビルの間は十分に離れていて独立性が保たれていました。各ビルには、もちろん駐車場が隣接しているのも、さすが自動車大国アメリカという感じでした。ただ、どの車も頭から突っ込んで止めてました。日本のように、切り返して後ろから止めてる車はほとんど見かけませんでした。友人にその旨を告げると「アメリカ人は運転がヘタだから」と一言。そのくせ、やたらでかい車ばかりなのでタチが悪いそうです。

ウェルカムパーティ サミットは基本的に、基調講演だとか製品ごとのカンファレンスが中心です。とはいえ、パーティ好きなアメリカ人のこと、初日はウェルカムパーティ、中日にもパーティと、楽しい催しもいっぱいでした。写真はウェルカムパーティで目立っていたコスプレです。もちろん主催者が用意した女性でしょう。ちなみに、世界56カ国から1500名以上が集まったそうです。来年、我々日本チームは全員着流しで参加しましょうと日本事務局の方に提案したのですが、残念ながら却下されてしまいました。女性に振り袖を強要するのはセクハラになるかもね…と。

朝食風景 宿泊はシアトルのホテルですが、朝食はレドモンドのMicrosoft本社で食べます。ビュッフェ形式ですし、メニューに多大な期待はしていませんでした。ただ、いただけなかったのは集合時間です。シアトルからレドモンドに向かう高速道路は、日本と同じで通勤時には混雑するそうです。そのせいか、毎朝6時にロビー集合でレドモンドに向かいました。6時といえば、いつもなら「そろそろ寝ようかな」という時間です。遅刻しないようにと、目覚ましは5時から5時半にセットします。私の生活パターンでは、考えられない時間です。いっそのこと寝ないで行こうかな……と、毎晩考えていました。

まぁ全体的には有意義なサミットでした。Microsoft本社の開発陣とも直接やりとりできたし。仕事のスケジュールが許せば、来年もぜひ参加したいですね。

Microsoft本社(1)
ノースウェスト機 こないだ、MVP Global Summit 2004に出席するために、レドモンドにあるMicrosoft本社へ行って来ました。 宿泊はシアトルのホテルだったのですが、シアトルは遠いですね。飛行機で7〜8時間くらいかかりました。もちろん機内ではほとんど眠っていたのですが、いかんせんエコノミークラスの狭いシートです。1〜2時間もすると腰やケツが痛くて痛くて……。たぶん来年も行くと思いますので、そのときは自腹切ってでもビジネスクラスで行こうかと、寝返りを打つたびに強く思いました。

ノースウェストの直行便だったのですが、CA(キャビンアテンダント)がみな、けっこう年配なオバサンだったのには驚きました。いえ、別に若くて美人のCAを期待していたのではありませんが、何となくドラマなどに登場するCAって、若くて美人が多いじゃないですか。先入観と勘違いが原因にしても、ギャップを感じたのは事実です。ま、いいんですけど。

イチロー 出発前、日本人MVP専用サイトでは時差ボケ対策について活発な議論が交わされました。やれ、行きの飛行機内では眠るべきだとか、現地に着いたらまず太陽光を浴びるべしだとか。どれも時差ボケには有効な工夫なのでしょうけど、私の場合は一切関係ありません。だって、いつも24時間単位で生活していませんから。夜11時になったらパジャマに着替えて、電気を消してベッドに入り「おやすみなさい」と。朝になって目覚めるとカーテンの隙間から差し込む日の光……などという規則正しい生活とは、もう何年もご無沙汰です。

渡米の前、Microsoft本社に勤める友人と何度もメールでやり取りしたのですが、13時間の時差を感じることはなかったですね。ですから、時差ボケ対策にと企画された"到着後の強制観光"は実に疲れました。SEATTLE MARINERSの本拠地SAFECO FEILDなど有名どころも行きましたが、できればSUPERSONICSのKEY ARENAに行きたかったです。NBAグッズを買いあさりたかったな〜。

1024号室 ホテルはSheratonでした。部屋はキリのいい1024号室です。セミダブルベッドが2つ用意された部屋を1人で使いましたので、それはそれで快適でした。また、シアトルと言えばスターバックス発祥の地です。部屋には毎日たっぷりのコーヒーが用意されていました。シアトルではスタバ1号店も観光スポットになっていて、一緒に行ったMVPの中には、出向いた方もいたようです。私は友人の車で近くまで案内してもらいましたが、混んでたのでやめました。

日本より気温が数度低いと聞いていたのですが、予想より寒かったです。さすが、緯度が北海道と同じだけあります。友人曰く「夏は最高だよ」と。そりゃ、そうでしょうね〜。「7月に1ヶ月くらい遊びに来い」と誘われて、かなり本気で検討しました。できれば本当に行きたいです。

コラム
「パソコン系ライターの独り言」というページを書いていましたが、勝手ながらこちらのコラムに移行させていただきます。まぁ、なんというか、もっと書きたいことを、日常感じたくだらないことを自由に書きたくて、こちらのコラムを作りました。誰かに読んでもらおうという気持ちはありません。日記のようなものです。できれば、あまり読まないでください。

ぢゃ、なんで書くのかって?そりゃ私はライターですから。文章を書くのが商売ですし、大好きだからです。

更新は不定期です。忙しいと書かないかもしれませんし、逆に気分転換や現実逃避で書くかもしれません。新しいコラムは先頭に表示します。内容的にマズイことがありましたらメールしてください。他意はありませんので、すぐ対処します。

過去のコラムはこちらです→「パソコン系ライターの独り言